X‘JAPAN2008復活
2008年3月28〜30日、東京ドームは10年ぶりのX‘JAPANを迎えて興奮のるつぼになった。

解散前から彼らの健康管理やコンディション作りを担当し、毎年年末の彼らにしか出来ないすごいコンサートをずうっと見守ってきた。やがて世界が注目する彼らの活動に、永遠にXの歌が聴けると思っていたが、突然やってきたX‘JAPANの解散。さらに襲ったHIDEの悲劇。TOSHIへの中傷と彼の苦労。この10年間長くいろいろなことが彼らを変えた。私は彼らを身近にみていたが一番変わったのはYOSHIKIであった。元々心の優しい彼は、アメリカで一人暮らしながらさらに人間性を深めた。驚いたのは数年前に自分で風邪を引いたと言って電話してきてタクシーに乗って一人で、六本木のクリニックまでやって来た。昔は一人では けして一人歩きなどしなかったし、そんなことは許されなかった。看護師さんたちに丁寧にお礼して帰る姿に、ますます彼が好きになった。
絶世の時でもYOSHIKIは人を大切にし、周りのことを気にしすぎるほど大切に優しく接する。本当はすごい天才なのに・・・。
TOSHIくんは解散以後、毎年1年間に200回以上幼稚園・学校や集会場・公会堂やスーパーマーケットなどでコンサートを開き身近にファンの前で熱唱している。ずっうと心のこもった歌を歌いつづけている。元々強かった喉はすばらしく鍛えられた。
久しぶりにあったパタさんもヒースさんもあのスタイルもちっとも変わらない。どこで年を取ったのかまったく不明なほど若い。この日のためにドラムやピアノの猛練習をこなして、手のひらに豆をいっぱいつくったYOSHIKIの本気モードにも感動した。そして・・・
10年ぶりのファン待望の復活コンサートがいよいよ始まった!!

場内に流れていたBGMのクラシックの音が途切れて、やがて彼らが登場するとドームが割れんばかりの歓声がわき上がる。
場内が暗転するだけで怒号に包まれて会場は大興奮、一気にボルテージが上がる。素晴らしいステージには あのHIDEもよみがえって立っていた。スタッフの必死の努力で彼の無数の映像はまるでそこにHIDEが立っているように一緒に演奏していた。(初日ステージが終わってYOSHIがどうだった?HIDE?と僕に聞いた。生きていたよ、そこにいたよ!と答えると満足した笑みでうれしいなと答えた)HIDEのシーンは涙が抑えられなかった。代々木体育館での彼の最後のソロコンサートでの姿と楽屋で気さくに話した彼の言葉が僕の心に蘇った。
朝からすごいカッコで会場に詰めかけても、ちゃんと並んで譲り合い、Xのファンは昔から行儀が良い。会場を汚すこともなく、ちゃんと自分たちのゴミは片付けてきちっと帰った。
その姿や行儀はちっとも変わらず、みんな声をそろえて踊る姿、5万人が一糸乱れぬその振りはまさに圧巻だった。まさに彼らは怪物である。伝説のX‘JAPANは不死鳥のように蘇った。
たくさんの歌手やグループのコンサートドクターを勤めてきたが、それぞれの素晴らしさはあります。TUBEもSMAPも、福山雅治さんも浜崎さんもみんなそれぞれの個性と素晴らしさにはその都度感動します。それぞれのファンへのメッセージを歌い、素晴らしい職業だとおもいます。

X‘JAPANのパリとニューヨーク公演も決定、私も現地スケジュールを作って彼らのサポートと完璧に勤めたいと思っています。いよいよWORLD TOUR スタートです。


韓国・SEOUL ニンニク注射の講演
韓国第2位の製薬会社GREEN CROSS社の招きで、2007/10/13・14とソウルを訪れた。小雨の羽田を発って約2時間15分、ソウルは秋晴れの素晴らしい天気であった。
GREEN CROSS社はビタミンB2を主成分とする注射新薬「Furusultamin」inj.をこの夏に発売し、ニンニク注射の韓国版として人気を集めている。
「にんにく注射」といったら、日本のDr.HIRAISHIだというわけで呼ばれたのが真相ですが、先月もこの会社の新薬プロジェクトのために一度訪韓しています。
GREEN CROSSは製薬会社とはおもえないほどきれいな本社や工場で、製品の安全性や工場だけでなう周辺の環境問題にも真剣に取り組んでいる。僕たちが日本で、プラセンタ、プラセンタといって美肌や疲労回復・肝臓機能改善の注射でお世話になっているのもこちらの会社の注射薬である。

南山のふもと、ソウル・ヒルトンホテルのりっぱな会議室で、夜6時きっかりに始まった10数名以上の大学教授や慢性疲労の学会会長、全種目の韓国代表選手のチームドクター、活発に活動しているソウル市内の開業医、有名な医界新聞社の社長やテレビ局の医療編集担当者など多数来られたカンファレンスです。日本からは岡山でも有名な河田形成外科病院院長「河田真作」先生もプラセンタ注射の診療について、形成外科医としての多くの症例などお報告して下さり、一緒に招へいされました。
日本では一開業医の考えた「にんにく注射」ですが、こちらは大学教授も大きな病院の院長先生も大真面目ににんにく注射の効果効能を研究し、肝炎やアレルギー疾患の治療効果のデータを開示していた。プラセンタ製品のラエンネックも同様に韓国では広く臨床に浸透し、日頃の診療にこちらの開業医は美容のみならず多くの患者さんにつかっています。さすがにんにくを世界一食する韓国の一面でした。

私の発表は、私が開発というだけでなく、当然「にんにく注射」の安全性や効果を米国・マサチューセッツ工科大学で行った各種試験(それらの試験項目を別表にしてあります)や体への吸収率や効果などのデータを開示し、より患者さんのために私たちは日々「にんにく注射」の進化を考えていること、そして多くのスポーツ選手や芸能の方々に愛され、日々の仕事や試合・体作りの役だっていること、さらにたくさんのお医者さんがまねをしてたくさんの患者さんが喜んでいただければ良いと考え一切特許や肖像権を主張せず全国に「にんにく注射」をしってもらおうと、またたくさんの開業医のみなさんが日々愛用していただこうと一切クレームをつけず新聞や雑誌に内容や効果効能を紹介してきた経緯を話しました。韓国の方々にも清原さんや横綱朝青龍、木村くん・草薙さん、イ・スンヨプ、TOKIO、GLAYの人気が高く、さすがににんにく注射シーンには大学教授も笑っていました。
今後、平石クリニックのノウハウをGREEN CROSS社とお互いの知恵を出し合って、より完成したニンニク注射を開発してまいります。

2006真夏・TUBEの夏
「夏」と言っのはたくさんあります。抜けるような青空にマシュマロのような入道雲(積乱雲)、口のまわりに汁べっとりのスイカ、甘い水茄子、マイナスイオンを自慢気に振りまく滝、せつない蝉の声、明日も夏休みの元気な子供の声、想い出でのラジオ体操、そして毎年流行るわれらがTUBEのアルバム。今年はBBQ(バーベキュー)サウンドです。

2006年7月16日(日)高知県須崎市でTUBE真夏のコンサートが開かれました。高齢の高知市内のライブ会場がアスベスト改修工事のため使用禁止、これも今年の象徴でしょうか?長い20年のコンサート活動で最も小さい950名の体育館で開かれました。

会場はあっという間に超満員、その熱気は空前絶後、クーラー全開でもサウナ風呂。高知竜馬空港から車で高速を使ってもたっぷり1時間半のドライブ。ようやく会場に到着し、そのまま楽屋に直行、いつもの明るいメンバーはお昼に食べた当地自慢の鍋焼きラーメンの話で大盛り上がり。みんなにんに注射をしようと、100個入りスペシャル注射でパワー全開。幕が上がったと同時に会場はダンスフロア!もう何度聴いただろうか前田くんの歌声、汗したたる熱唱、熱唱・・・。
かって松山千春さんが「前田ほど唄のうまい男はいない、あいつは日本一のシンガーだ!」と誉めていたのを思い出す。彼の歌い方、歌の振り、襟を出した着方が大好きな彼のファッションなどなどいろいろ観察していると、どうもエルビスプレスリーを尊敬しすこしでも真似たい、追いつきたいと思っているのでは・・・?と最近気がつく。ラブソングやバラードを歌わせたら日本一。「この気持ち、感じて〜・・、」前田くんの歌詞にはロマンチストの本音が見える。今年の春、発売された20周年DVD BOXの中にTUBEの想い出の文章を書かせていただいた。たくさんの歌手やアーティストの患者さんの中で最も苦楽を伴にした彼らだけに楽屋の治療も、何気ない会話にも、会場の一番後ろで聴く彼らの演奏にはいつも感動し、一緒に歩いた20年間が走馬灯のようにたくさんのシーンが思う浮かぶ。
前田くんやメンバー全員の仲の良さ、変わらぬ信頼と友情、TUBEは永遠だと実感する。その夜のコンサートは素晴らしかった。声の響きももちろんですが、小さな会場が一体になってそれは凄い盛り上がりでした。おそらくTUBE史上に残る名コンサートだったでしょう。暑い中遠くまで駆けつけたあの夜のファンはラッキーだった。前田くんの汗も吐息もみんなのものになっていた。


その夜、彼は疲れきった顔ひとつ見せないで、高知の関係者の皆さんと皿鉢料理を舌づつみしながら一生懸命話してくれた。年に一度の機会に地元ファンは熱狂的に歓迎してくれる。時には行き過ぎることもある。しかし、いつも彼は嫌な顔ひとつ見せず、「美味しいね、最高だね」と誉めながら時には嫌いな食材にも積極的に箸を出す。高知の人は熱い。お酒もめちゃくちゃ強い。そんなに飲めない前田くんも注がれたお酒はうれしそうに明ける。一生懸命話しながら、相槌を打って、100枚近くの色紙にペンを走らせる。ちっとも休めないし、そのサービス精神には心から感動する。最後はカラオケも一曲サービスして、地元の関係者の顔を立ててあげる。その人柄に初めて接した彼らも、心からTUBEワールドに浸った一夜なんです。

実は、彼は音楽の才能の持ち主のほかに、友達を助けたい、せがまれたら断れない友達思いの好青年なんです。3年前から高知・室戸沖の海洋深層水の事業に力を注いでいます。こんな事業を始めると、水の大切さ・健康の大切さはもちろん、水や食品を管理している厚生労働省や地元県の管理、日本という国の制度に大きな疑問と不条理に直面します。どこが「ナチュラルミネラルウォーター」なのか?本当に体に良い、美味しい水がどうして作って売ることが出来ないのか?(実際、2年後には日本の飲料水の制度も変わる時が来そうな雰囲気にはなってきましたが、まだまだ油断禁物です。ただ来年には日本の飲料水から「ナチュラル」という文字は消えます。何故なら、日本製の飲料水はすべて熱処理して自然のままではないからです。世界中のとくにヨーロッパからは馬鹿にされどうしのボトル飲料水なんです。)
ところで、海洋深層水はミネラル分がたっぷり含まれたまさに地球最高のお水であることは皆様十分承知だと思います。海洋深層水は「地球の血液」ともいわれています。
地球の環境を守り、私たちの健康を考えて、平石クリニックは総力を挙げて前田ブランドの海洋深層水「Naomi W 300」(硬度300のとっても美味しい水)と「室戸の海洋深層水」を応援します。これは長い間何度も感動し元気づけてくれた前田くんやTUBEの皆さんへの恩返しでもあり、将来必要な事業なんです。
ぜひ飲んでみたいと思われましたら、平石クリニック☎03−3401−7711へご連絡下さい。便秘がちのかた、体力のない夏ばてしそうな方には、この夏一番のおすすめ飲料水です!硬度は普通の水も作りました。ダイエット水といわれる硬度1500のコントレックスなどは、下痢や体内や腎臓にカルシウムが貯まったりしていろいろな副作用がありますが、Naomi W 300はそんな副作用もないように調整された、お腹に優しい硬水です。
前田くんの熱い想いが、海の底からやってきました。
まだまだ質の良い飲料水を届けることは可能なんですが、現在の法律では今のレベルが限界です。しかしいつの日は、日本の水の制限も世界レベルに改定されればきっと素晴らしいお水を皆様のところには届けられます。
平石クリニックは、機能性飲料水として「DIET」「高血圧症」「高尿酸血症(痛風)」を水を飲むだけで改善する水を開発しました。臨床成績もよく、近い将来皆様にさらに進化した飲料水としてデビューします。ぜひお楽しみに。どんな肥満の方も、内臓脂肪の方、メタボリックシンドロームの方にも強力な助っ人登場です!


2006幕開けは亜細亜大学・箱根駅伝総合優勝!!
2006年は日本中の駅伝ファンが、みんな驚いた「第82回箱根駅伝/亜細亜大学総合優勝」で幕が開きました。とにかくうれしかった瞬間です。
箱根駅伝への挑戦はいつから始めたかはっきり憶えていないくらい、長い挑戦でした。最初はやはり亜細亜大学の選手が何人かコンディショニングで通院し始めました。やがてほとんどの部員が治療に訪れましたが、当時の大槻監督には最後まで面識がありませんでした。選手の自主性に任せた戦いが5,6年つづき、ついに村田キャプテンの時代にシード権を獲得したことを機に亜細亜を離れ、帝京大学陸上部にあの喜多監督が就任。彼から正式にチームドクターを要請され選手全員の健康管理とコンディショニングを始めました。

そのころから、箱根駅伝(以後、箱根)は人気競技となり沿道には毎年320万人以上のファンが熱い声援を送ってくださいました。山梨学院大の台頭や早稲田大学ニ瀬古監督の復帰や渡辺君らの悲劇の棄権、さらに地元神奈川大の躍進などで人気は一気に上がりました。そのため関東圏内の大学陸上部は競って予選会に出場。100校近くの予選会は1校15名では危険となり1校12名の参加、上位10名の成績合算方式に変わりました。10名を揃えるのがやっとの新参者帝京大はこの好機を活かし、チームドクター就任2年目で箱根初出場、「赤い旋風」を起こし、その3年後にはシード権獲得する足跡でした。しかしその後帝京大学はシード権は維持しましたが、低迷。原因は監督と選手の意思疎通、何でも自分で管理する喜多監督がコーチを育てられず、いつしかシード権落ち。監督自身は優しい人柄でしたが、実績もないOBたちのうるさい意見に挟まその苦労は大変だったと思います(平成17年5月末に喜多さんは突然監督解任)。毎年予選会からの挑戦は辛かったです。選手は短い2ヶ月間に2度のピークを作る必要があり、そこがシード権の有無の大きな違いでした。帝京10年間の蓄積は箱根の大きな勉強になりました。そしてシード権を取った亜細亜大学OBらがもう一度亜細亜大に戻ってほしいとクリニックを訪れたのは今から7年前。
私が帝京に移籍してから一度も箱根を走ってないほど低迷していました。私からの条件は大学に交渉して監督交代でした。彼らはOB会を動かしついに「岡田監督(前ニコニコドー監督、以後岡田)の就任」にこぎつけました。最初は帝京と亜細亜大のドクター掛け持ちでしたが、何年も箱根に出場していない大学には優秀な高校生は集まらず、岡田監督の苦労は大変なものだったと思います。

陸上部の学生は本当に真面目です。サッカー部や野球部の学生は多少遊んでも成績には大きく関与しません。しかし陸上部は1度でも合コンや羽目をはずすと不思議と成績は上がりません。それゆえ、選手同士は非常にコツコツ練習に励みます。寮長が、師走のまだ夜も明けない午前3時過ぎ、暗い道を一人黙々走る選手に「君は何区を走るんだ?」と声を掛けると「自分は付き添いです。今年は選ばれませんでした」と応えたそうです。以前に、陸上選手は一度遊びを憶えるとだめなんだと岡田は私に教えてくれました。それほど陸上、とくに駅伝や長距離はセンシティブなんです。昔、東京五輪マラソン銅メダルの円谷幸吉選手の「もう幸吉は走れません」とメキシコ大会を目前にした時に、遺書を残したあの事件でも競技に対する真摯な思いの表れなんです。
そんな心底真面目な彼らに、駅伝は必ず襷を繋ぐというまさにこれ以上の過酷な競技はあるでしょうか?今年も順大主将や駒大最速アンカーの悲壮なまでの戦いぶりには、まさに敵ながらあっぱれな走りでした。箱根はそれら心身すべてをチームにのしかかる激しい戦いなんです。それゆえ襷の重さが多くのファンの心を動かすのでしょう。
何度も挑戦しながらなかなか駒澤の背中も見えなかった亜細亜は、昨年の戦いからようやく感触を得てきました。初めての3位入賞の一昨年よりタイムは5分以上早かったのですが、結果は7位。しかし確実に選手は育っていました。8月の夏合宿では、例年と同じく1100Kmの走りこみを終了、帰京後もすぐに血液検査を施行。春から毎月のように選手の血液検査は繰りかえされ、データは岡田や小野コーチの元へ。今年も秋の出雲や伊勢の大学駅伝では ぱっとしない成績で、ほとんどどこからも注目されませんでした。しかし疲労からの回復やスタミナ・パワーの改善は大きな進歩でした。
とくに、夏前から選手に摂取していただいた小田原かまぼこの名門「小田原・鈴廣」さんが開発した魚肉からのプロテイン(FPP:魚肉ペプチド、マリーンサプリと称します)は、選手の肉体改造に大きな役割を示しました。疲労回復やパワー増強、動脈硬化などの予防に大きな力を発揮しました。若い選手に動脈硬化なんてと思われますが、足底筋膜炎など非常に細かい血管の故障は、このFPPでほとんど防げました。(FPPは現在、一般人の方々で臨床実験中です。高血圧や高脂血症の予防と、肉体改造に効果が期待出来ます)
また選手の栄養補給についての知識は徹底され、選手は個人で管理をほとんど出来るほどになっていました。寮の食事をまかなってくれるグリーンハウスのお姉さんたちももう、完全に家族。一人ひとりの体調や食欲などを考え、本当によく頑張ってくれました。少ない予算でも、たくさんのおかずを出してくれる毎日の食事はまさにおふくろの味だったことでしょう。
私の箱根は毎年元旦の夕方4時から始まります。
東京駅のすぐ横、富士屋ホテルに第1区と監督・マネージャー以下付き人ら5〜6名が集合。そこから1区の選手のニンニク注射と、岡田監督の指示を聞いてさらに2・3区の藤沢・法華クラブ、4・5区が控える小田原ステーションホテルへと、順次ニンニク注射をしながら、選手の体調や監督から特別に指示の出た選手の足首や膝などを診察し、果たして明日20Km以上の道程を走りきれるかを判断し、一人ひとりについて東京の岡田監督へ報告。最終判断を監督がして、エントリーします!
緊張気味の選手もいれば、リラックスしてはしゃぐ選手もいます。付き人の彼らと一体感になって、先輩も後輩もありません。一種の興奮状態でみんなそれぞれの箱根を迎えます。
今年のキャプテンは、2区板倉君4年生でした。よくチームをまとめましたが、なにより彼が一番のブレーキだったのが幸いしたのか?みんなが板倉を泣かせるな!とレース当日さらに結束したからでしょう。彼は先天的に左手が指1本で、手を握ることが出来ませんでした。雪が舞う2区は寒い向かい風で、一気に体温は下がり、区間17位は可哀想なことをしました。日大サイモンも同じ、寒さで失速しました。3区の戸塚中継で彼を迎えた私は、ブレーキしたのすっかり忘れた素振りの板倉には、多少びっくりしましたが「先生、腹減った!」の一言に涙が出て、「そうかそうか、島守温かい肉まんとあんまん買って来いよ!」と小田原へ向かう車の中で、大声できつかった〜!、とか寒かったですよ!と話す明るい板倉を見て現代っ子の様子を観ていました。チームにブレーキをかけた選手なら、もうその責任感の重さでそのまま寮に帰った時代とは違います。抜き返した選手には、ありがとう!これで恥かかなくって助かったよ〜、とねぎらう姿に、彼のキャプテンスタイルを感じました。板倉でよかった!
結局往路6位でゴール。監督の計算よりたった18秒遅い記録。選手は自信を深め、翌日の復路を迎えました。
復路はまさに岡田監督の真骨頂!選手は数秒の誤差で、すべて区間を走りきり、まんまと総合優勝目指し、それぞれの箱根を走りきったのです。テレビやラジオでは、あの亜細亜が・・・を連発されましたが私たちは真剣に優勝を狙っていました。まさに若き信長や秀吉のように綿密な計画で走っていました。今年最高の出来を示したのが、全区間5Kmごとに配置された部員が、非常に正確に全選手のタイム・走りっぷり・前後の差を正確に監督車に報告し、それをもとに1Km3分何秒、2分55秒とペースを選手に指示出来た事が、反省会で最初に監督が誉めた一言でした。その指示がなければ、選手は不安と気象状況で、ペースを崩したことでしょう。木許のプレッシャーの中での冷静な戦い、菊池・小澤の負けん気と忠誠心、岡田のくせ、北條の隠れた能力、山下の爆発力、岡田直寛の冷静さなどすべて監督が知った上での作戦は見事なまでに的中していました。1年間寝食ともにした結果でしょうが、大変なことです。アンカー直寛の笑顔が大きくTVに映し出された時には、うれしくてうれしくて、涙でよく見えませんでした。
寒い朝、沿道の何時間も前から陣取って旗をつくり、応援をしてくれた数多くのサポーター。きっと誰から亜細亜大学と縁を持ち、毎年応援に来てくれる人たち・・・。そんなたくさんの人たちに優勝は最高のお礼でした。沿道230Kmはもちろん、全国の駅伝ファンの心に残るレースでした。
途中失速した順大・難波は、前日に高熱らしいと情報が入り、それでも出場した彼の心意気には驚きましたが、やはりスポーツは科学。無理すれば戦える箱根ではありません!冷静な判断はあの名将沢木総監督も狂わせたのでしょう。同じ順大今井君の山登りも、今後十年は破られない記録でした。
いつも日か、五輪マラソンであの今井君ですという解説が聞こえてくるようです。
そうそう、僕の患者兼教え子の帝京大OB中越くんが、そろそろ北京五輪を走れそうなところまで来ました。2区常連の彼は、箱根で鍛えたその足で天安門広場を最初の走ってくれそうです。みんな順調に育ってます。箱根はまさにひとつの峠、天下の剣は、若者たちをいまも鍛えてくれてます。
車で、あの曲がりくねった道を走ると、何十人もの選手の笑顔が思い出されます。1年間絶好調で迎えた4年の箱根、年末にC型肝炎が発見され(鍼灸の治療で感染)ついにぎりぎりで走れなかった原田(原田とは全区の往診が終わって僕の到着を待っていた元旦の深夜、寝静まった宿舎で悔し涙で彼と抱き合って泣きました。)や、1年生から連続出場していたのに4年の最後の箱根直前で、水疱瘡で泣いた馬鹿な佐藤、さぼりが得意の北島は、知らん顔して区間新を作った。卒業と同時にスパイクを脱いだ選手、いまもニューイヤーで一所懸命走っているたくさんの選手、そろそろ五輪マラソン代表に名前が上がる選手、名選手を育てた箱根には、勝ったチームにも負け続けるチームにもきっと涙、涙の埋もれていく話がきっとあるのでしょう。
しかし、どんなチームもあの二日間の夢を乗せて頑張っています。本当はとても辛いのに・・・・。
TUBE 20周年寄稿 
僕が初めてTUBEに会ったのは、前田くんがひどい風邪を引いてクリニックにやって来た時だった。もちろん人気絶頂の彼らが患者さんになったことは、とっても嬉しかった。
そしてメンバー全員の主治医となり、コンサートやレコーディングなど、彼らの一人でも体調を崩すとどんな時でもどんなところへでも緊急往診して、一生懸命彼らのコンディションをキープするよう、最高のコンディションで素晴らしい歌を演奏出来るように、彼らとともに突っ走った。僕の中ではTUBEは特別な存在であった。

「Patient is a teacher of Medicine.(お前の目の前の患者さんが医学・医療の教科書だ)」と、僕が、初めて勤務した北陸・金沢の病院での出来事。院長先生から教わった言葉、「医学の教科書はお前が学校で買った本ではない、今お前の目の前に座っている患者さんの言葉や症状が、まさに医学の教科書なんだ、患者さんの一言、小さな訴えも症状も見過ごしてはいけない」と厳しく教えられた!
前田くんはそんな点からも非常に興味ある患者さんだった。そして彼の何気ない言葉の中でいつもいろいろな事を教えてくれた。ある夜、西麻布のレストランで、彼と食事をしていたらプロダクションの社長が若い新人歌手を連れて通りがかった。僕たちを紹介するや、「前田さん、先輩として何か彼女にアドバイスしてよ!来月デビューするんだ。」と無造作に話しかけてきた。
僕たちは思わず顔を見合わせて一瞬黙り込んだが、やがて前田くんはおもむろに口を開いた。「ねえ、君 歌好き?」彼女は黙っている。「もし、歌うことが好きじゃなかったら、今止めたほうがいいよ。もし歌が大好きだったら、3年頑張んな!3年経ったらきっと声が出来上がるよ!」こんな優しい言葉に僕が感動していた。彼の言葉には優しさに溢れている。どんな時でもいつも紙にそのときの感情を書き留める彼を見て、「ねえ詩を書くのが好きなんだね」と尋ねると「おれね、言葉遊びが好きなんだ」と応えた。たしかにTUBEの
詩には奥が深い。詩が出来なくて苦しんでいる前田くんも見てきた。とつぜん鼻歌を奏でた彼も見た。そんな彼の凄いと思った瞬間があった。真夏の横浜スタジアムの楽屋での一幕。久しぶりに歌う曲を、オリジナル版をラジカセで繰り返し聴いていた彼が「そうか、これってこうな風に歌ってたんだ!うまいなあ (笑)」まさに初心を忘れることのない1シーンである。
メンバー全員がこんな雰囲気でいつも仲良く、いつも時代も彼らは変わらない。4年前に新しい平石クリニックが出来上がったオープニングパーティーで、メンバー全員がテレビの合間に駆けつけてわざわざ小室哲哉さんがピアノを伴奏し、熱唱してくれた。これからもまずます味の出てきたTUBEのベストコンディションを作り上げたい。空と海とように澄んだ彼らの歌が響く限り・・・。
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